Furukawa Kenji

古川 乾提

m28e有限会社 庭師親方 http://m28e.jp/

略歴

1972年愛知県生まれ。m28e有限会社取締役親方。愛知学院大学在学中にイギリスに渡り、庭師になることを決意。日本庭園修業を経て、2001年愛知県一宮市で「m28e」を設立。2005年には1人1庭時代のかぶる庭「冠庭」でGEISAI #8 金賞受賞。
2005年より「こよみのよぶね」に参加。2011年東日本大震災の年に「こよみのよぶね」のリーダーを務めていたことがきっかけとなり「とうほくのこよみのよぶね」 が始まる。
2008年 Working Laboratory 「つくる。」、2009年「全日本庭サミット 庭JAPAN」設立。2011年東日本大震災復興支援プロジェクト「庭JAPAN」を立ち上げる。古来より伝わる日本庭園の技術・文化を背骨にし、多岐にわたる活動を続ける。

現在の仕事についた経緯

日本が嫌いで21歳の時にイギリスへ渡りました。「なんで日本にはたくさんの神がいるの?」「羅生門の本質は?」「禅って何?」「天皇陛下って日本人にとってどんな存在?」「枯山水はなぜ一本も木を入れないの?」など、世界中の人に日本のことを聞かれ、悩み答えるうちに「あ、日本って特別なんだ…」と気づきました。
そして、「日本文化に関わる仕事がしたい」と思い、帰国後は図書館に通い日本文化に関する本を読み漁り、肉体を使い日本の形を造形していく庭師にたどり着きました。
最初は京都の著名な庭師の元を訪ね歩き、「庭師とはなんぞや」を心の象にし、諏訪湖の麓で庭づくりをしていた親方の元へ弟子入りし、4年の修行後『m28e』(meの中に立ち上がる庭28)として独立しました。

仕事へのこだわり

ファーイーストの島国、日本に生まれてきた意味を、日本から世界へ発信し伝える意志を身体の中心に置き、庭づくりをしてきました。
自分の修行時代は職人世界の古い習慣が残っていた世代で、修行先で働く前のお試し修行の期間が2年あり、オンボロ社宅を同じ修行の身の職人達とシェアして暮らしていました。
雀の涙ほどの給料で親に米を送ってもらいやっと食べていけるぐらいの状態でしたが、ここで「仕事は奥から手前へ、上から下へ」「段取り八分仕事二分」などのシンプルですが本質的なことを学べました。

独立する前には沖縄から東京まで徒歩・野宿の旅をし、小さな日本のスケールの大きさを体に刻みこみました。
スズメバチの大群に追いかけられ、猿の襲来に遭い、水にあたって3日間寝込んだりしながら、平和な日本でも「あ、死んじゃうかも」ということを何度か感じました。
体が覚えたこと、死の恐怖を前に見た命の明かりは忘れません。その明かりの方へ、その体の動くまま、物をつくっていこう。しっかり恐れ、しっかり感じ、しっかりつくる。そう思いました。

旅からもらったそんな経験を基にm28eを立ち上げて動き出しましたが、仕事がありませんでした。
仕事のない時間は深く考え、手を動かし、自由な物をつくりました。つくった物は「アートだね!」と呼ばれました。
そのうちの一つ『冠庭 -BONSAI HEAD-』を持って日本最大の芸術の祭典GEISAI(村上隆氏主催)に出展し金賞を獲得しました。
世界最小のかぶれる庭、世界中のどんな人も庭を持てる一人一庭時代の庭「冠庭」のコンセプトは、今もm28eの庭づくりの中心にあります。
誰もが庭を持てる、誰の上にも庭がある、そんな庭を“つくる”のではなく“掘り起こす”ようにつくり続ける、死の直面にあってもそんな庭を眺め抱きしめつつ最期を迎える事ができる、そんな世界をつくり続けていきます。

若者へのメッセージ

順番にやってくるものに身を任せ、順番にそれらの波に乗ってみて、順番に良し悪しを判断していく。
良い事も悪い事もモノづくりの肥料になる。
自分にどんどん肥料をやって葉を枝を幹を、根っこを太く太くしていこう。
大事なことは元からその場所に埋まっている。
本質は自分の中に存在している。
その大事なものを掘り起こし、光と風に当て、自分らしく、その場所らしく育て上げていこう。
そんな自分を君は愛せるようになるだろう。
そんな場所だからみんなに愛されるようになるだろう。
元からある本物の自分を掘り出し、光と風に当てて生きていこう!