Ito Shuji

伊藤 秀司

エヌ・エイ・アイ株式会社 代表取締役 https://www.nai.co.jp/

略歴

慶應義塾大学経済学部を卒業後、某大手建築会社に入社。その後、某金融系の会社に転職、NY勤務4年を経た後に帰国。バブル崩壊の真っただ中、現在のエヌ・エイ・アイ株式会社を起業。

現在の仕事についた経緯

「いつか社長になってやる」というサラリーマン時代の夢は、バブル崩壊と共に簡単に崩れ去りました。そうした頃、兄の知り合いの「一緒に日米の医学交流ビジネスをやろう」という言葉に奮い立ち、独立を致しました。
その後、様々な環境変化の末、本来の起業目的は方向転換を余儀なくされました。その結果、日本人医学研究者の英語投稿論文を、欧米のPh.Dが手直しし、欧米の一流科学雑誌へのアクセプトまでのお手伝いをする、現在の論文サポートサービスが始まりました。
その後、「言葉の壁を越える」という軸を崩さず、多言語翻訳サービスを提供するNAIway翻訳サービス、そして現在の動画でOJT介護、動画まるごと多言語AI翻訳といったサービスへと発展していきました。

仕事へのこだわり

働く社員の顔が常に笑顔であること。それが私の目指している組織です。そのためには、もちろんお金も大切です。しかし、お金と同時に、仕事に対する誇りが大切であると考えています。
当社の関わる言葉関連サービスは、人の好みや解釈間違いなどにも左右されやすい「取扱注意サービス」の代表格です。その中でたどり着いた不変の信条があります。それは「とことんキッチリおつきあい」という仕事に対する姿勢です。どんな仕事でも、その完成度を95%まで高めるのはそれほど難しくありません。しかしながら、その95%を99%に高めていく過程は、1%アップさせるごとに二乗三乗の手間と入念さが必要となります。私達は、この最後の5%をどこまで縮められるかにこだわり続けています。その2%、3%を埋めるため、何度も何度も見直しを行います。
不思議なもので、こうして「とことんキッチリおつきあい」の社風が浸透してくると、社員も、自社のサービスに対しての誇りを持つようになります。その結果、お客様の満足度も上がり、口コミで売上も伸びていきます。同時に、社員のやる気もアップします。そうなると社内の風通しもよくなります。

弊社は翻訳を生業にしていますが、現在、その翻訳を取り巻く世界には、AI翻訳という、とんでもない怪物が立ちはだかっています。こうした逆境だからこそ、その会社の、その経営者の、その社員の真の力が試されます。
仕事を面白い、楽しいと思ってくれる人は、どんな逆境下でも、前を向いて、笑顔で働いてくれます。私の経営者としての役割は、彼等、彼女達が、人生を賭けて闘い続ける場所を提供し続けることです。
そのために、常に時代の流れを先読みし、誰よりも早く変化を察知し、その変化を味方にすべく、誰よりも努力し、誰よりも多くの時間を未来のビジネス構築のために費やし続けることが大事だと思っております。
このスピリットを持ち続けることが、私の仕事へのこだわりです。その熱が冷めた時が引き際かなと感じています。あと15年は頑張ります。

若者へのメッセージ

後輩経営者、と言っても私より二回り以上若い経営者がいます。彼は10年前、ほぼ破産状態の中、起業しました。そしてがむしゃらに働き続けました。
彼は看板を扱う仕事を生業にしていましたが、なりふり構わず、あらゆる経営者団体、異業種交流会に参加しました。そしてどこに行っても、誰もが嫌がる仕事、たとえば飲み会の会費集め、花見の場所取り、ゴルフでの先輩のお迎え、経営者団体の会合への参加の電話、なんでもやり抜きました。もちろん夜中の看板工事も、決して手を抜きませんでした。
この彼は、わずか10年で年商2億円を超えて、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けています。そして新たなビジネスへの挑戦も模索し続けています。今私が尊敬する経営者の一人です。

私が若者に対してメッセージを送るとしたら、彼のように、常に謙虚に「人の嫌がること」をやり続ける若者であること、そして先人に慕われ可愛がられる存在であり続けることが大切だということです。
実は私は、若い頃、「自分の力で勝ち組になってやる」、そんな意地を張り続けていました。能力は、陰の努力を怠らなければ人の嫌がることを率先してやり続けても、必ず高まっていきます。
若い頃にもう少し可愛い青年であればと今は少しだけ後悔が残っています。63歳、今更なので(笑)。