島根県益田市で生まれ育ち、高校卒業後に上京して映像関係の学校に通いながら音楽活動を行っていました。
個人的には東京に残りたかったのですが、家業があるからと地元に戻り、当時パチンコホールとビジネスホテルを運営していたマスコスに入ったのが私が28歳の頃でした。
そこから3~4年ほど勤務した後に、30歳で益田工房というデザイン会社を立ち上げ、マスコスでの勤務と同時並行でデザイン業に従事。
益田工房の設立から10年ほど経った頃に、代表交代を経てマスコスの代表取締役に就任し、現在のMASCOS HOTELを建てたという流れです。

現在の仕事についた経緯
仕事へのこだわり
これはMASCOS HOTELを建設した理由にも繋がるのですが、人口5万人に満たないこの島根県益田市の魅力を発信したいという思いが最も強いと思います。
このように感じたきっかけは、益田工房でのクライアントワークを通じて、益田市の地域資源の豊富さ、町の魅力を再認識したことでした。10代の頃は何の愛着もなかったこの町ですが、はじめて町おこしをしたいという気持ちが芽生えたのです。
そこで「根本的にまち作りに関われる事業は何だろう」と考えたときに、地域の特色を生かしたホテルを市の中心地に建てることを思いつき、それが現在のMASCOS HOTELとなります。
もともと各地域の街並みが似たり寄ったりな風景になってきてしまっている日本をつまらないと考えていたので、益田市のアイコン的な存在になればと考えました。
ただ、MASCOS HOTELの特徴は、外観などのデザイン性の高さばかりではありません。
地元の窯元や大工さん、木工職人さん等を招き、建材に無垢材を使用したり、家具を一から作ったりと、地場産業のオリジナリティを細部に至るまで反映し、「本物」を追及した点が最大の特徴かつこだわりです。
もちろん相応のコストはかかりますが、地方銀行様が私達の「益田市を盛り上げたい」という姿勢に賛同してくださり、柔軟に対応してくださったことで実現に至りました。
ただの利益追従型のホテルでは、こうはいかなかったでしょう。
今後の目標
MASCOS HOTELの周辺は益田市屈指の飲み屋街で、人口に対して飲み屋さんの数が非常に多いのが特徴です。一昔前はこの地域も大いに賑わっていたのですが、観光地ではないということもあって、普段はどこか閑散としていることが多くなっています。
私としてはこの地を人の交流の場として、かつ観光資源として活用していきたいと考えています。
出資者に恵まれさえすれば、MASCOS HOTELのようなコンセプトのホテルを国内にあと数棟、それから海外にも建てられたら面白いかとは思っていますが、やはり今も先も主眼を置くのはMASCOS HOTELを拠点に益田市の魅力を発信していくという町おこしです。
ただ、規模の拡大もある程度考慮しなければ資本は保てず、持続可能性は実現しません。
したがって、地域活性化を継続して行っていくための経営バランスが、現在最も模索すべき課題だと捉えています。
若者へのメッセージ
とにかく環境や周囲の人のせいにせず、すべて自分で決断し、自分の意思で動くということを第一に考えてほしいと思います。
その上で、なんでもいいので目の前のことには本気で取り組んでください。
「なかなか自分で決められない」という人も多いのですが、自分の人生を生きるのに誰かに決めてもらうのは、ちょっとナンセンスだと思いませんか?
私は自分で決めることこそが、人として成長することだと捉えています。
よって、決断にかかるプロセスがどんなにしんどくても、辛くても、誰でもない自分自身の答えが出るまではひたすらに自問自答をし続けてください。それが前に進むということだと思います。