Nishimura Takuo

西村 拓生

NonEntropy Japan株式会社 代表取締役 https://nonentropy.jp/

略歴

1994年、慶應SFCを第一期生で卒業後、新卒でJAFCO入社。ベンチャーキャピタリストとして主にITスタートアップへの投資を行う。96年、投資先の株式会社ハイパーネットにハンズオンを目的に転職。社長室長として新規事業、NASDAQ上場プロジェクト等を担当するも見事に散る。99年、株式会社バックオフィス創業。日本初の経理・給与計算のASP事業を開始。ビットバレー企業として注目を集める。03年、未来証券にて、投資銀行業務に従事。06年、株式会社クロスランゲージCOO就任。翻訳ソフト事業をサービスモデルへと事業モデルの変革を実現。10年、株式会社SIGOOT設立。システム開発、財務/危機管理コンサルティング等。20年、NonEntropy Japan株式会社設立、代表取締役就任。

現在の仕事についた経緯

インターネット黎明期より、私はインターネットの可能性を信じ、挑戦し続けてきました。残念ながら、目立った成功はおさめることができませんでした。当時からインターネットの未来はどうなるのか、そういったことをずっと考えてきました。Web2.0やスマートフォンの出現は当時の延長線として予想できた世界です。
しかし、ブロックチェーンの出現とWeb3.0はインターネットが誕生したとき以来の衝撃であると感じています。大きな成功をおさめる企業は、変革期に生まれます。私は、次の変革期が訪れるのを20年間、待ち続けてきました。
今回、待ち続けたチャンスが巡ってきたわけです。このチャンスをなんとしても掴むべく、仲間と会社をスタートさせたのです。

仕事へのこだわり

私が最初に入社したJAFCOという会社は、当時はきわめて野武士的なカルチャーを持った会社でした。入社して2週間程度の簡単な研修はありましたが、それが終わったら、あとは「さあお前ら外に行って社長に会ってこい」と、外に放り出されます。JAFCOの仕事は経営者に会わないと何も始まりません。「1に社長、2に社長、3,4がなくて5に社長」というのがJAFCOのカルチャーでした。
新人は、社会人として右も左もわからぬまま、「いい会社」「いい社長」を探してテレアポをかけたり、飛び込み営業をしたりして、街をさまよい歩くことになります。でもそうやって営業をかけても、そうそう社長などという存在に会えるものではありません。継続した努力や、運や、才能や、様々な要素が絡み合って、ようやく社長との面談が叶うことになるのです。
でも、新人がいきなり社長と面談しても、まともに話などできるわけがありません。失礼な振る舞いをしてしまうこともあったでしょう。結果、相手を怒らせてしまったり、呆れさせてしまったりすることもありました。
でもそうした経験を重ねていくことによって人は成長していくものです。親切な社長さんは新米キャピタリストにいろいろな世の中のことを教えてくれました。
最初に入社した会社のカルチャーというものは社会人としてのDNAに刻み込まれます。「お客さんに育ててもらう」というのは私のスタイルとなっています。
今でも私は新規事業などを作るとき、まずは営業用のプレゼン資料を作って、知っている人にプレゼンします。そうして、お客さんからの意見や、セールストークなどを磨いていって、商品の完成度を高めていくのです。

若者へのメッセージ

私もいつの間にか50代になっていますが、ただただ闇雲にもがきながら生きてきただけなので、あまり参考になりそうなアドバイスはできないと思います。
現代は何かと計画的に人生設計をして、一つ一つPDCAを回しながら成長していく、キャリアを積み上げていくことが望ましいとされています。
それももちろん大切ですし素晴らしいことだと思います。でも、戦争も天災もなく、実際に計画的な人生を送ることが可能であった時代は、日本においては戦後から高度成長、バブル崩壊に至るまでのわずか45年間しか存在しませんでした。
今は全く何が起こるのか予想ができない時代です。戦争が起こるかもしれないし、天災が起こるかもしれない。私たちはバブル崩壊後の30年間の間に、オウム事件、同時多発テロ、神戸震災、東日本大震災、リーマンショック、ウクライナ侵攻などを経験してきました。これからも何が起こるのかわからない状況は続きます。
坂本龍馬は、剣術の達人でした。その修業の中で、常に頭上に大きな岩があることをイメージして、それがいつ落ちてきても対応できるような心構えをしていたそうです。最初はその岩が落ちてくるのが怖くて仕方がなかったそうですが、段々、勝手に自分で想像していた岩を怖がっているのがバカバカしくなり、いつしか忘れて気にならなくなったそうです。
想像上の岩がいつの間にか胆力を鍛えることになったのでは、というエピソードがありました。
何があっても動じず、その瞬間瞬間で適切な身のこなし方ができるだけの準備をしておくこと、それがこれからの時代において最も重要なことなのではないかと感じています。