Nogi Hideko

野木秀子

KHAコンサルティング株式会社 会長 http://peraichi.com/landing_pages/view/lxaer/

略歴

1971年京都教育大学(物理学専攻)卒業。日立製作所システム開発研究所入社。1975年結婚のため、小さなソフト会社CIJに転職。顧客としてのNTTデータを開拓、大規模システムの開発を請け負い、成功させ、CIJの上場に寄与する。44歳に取締役、その後常務、副社長で定年、顧問を経て現在8つ兼務。この間、CIJアメリカ社長、早稲田大学、神奈川工科大学客員教授、横浜市教育委員、文科省中央教育審議会委員、神奈川県情報サービス産業協会副会長、現在、JIET副理事長、KHAコンサルティング株式会社社長、キャリア研究会会長など。

現在の仕事についた経緯

大学卒業の1971年は民間企業であれば、女性はコピーとお茶くみで、結婚相手を見つけて専業主婦になるのが90%以上でした。専業主婦の姉のようになりたくなく、高校の物理の教師になる予定が、日立がコンピュータエンジニアを募集していることを知り、応募しました。
当時旧帝大にコンピュータセンタができ、実験結果に使っていたので、コンピュータに対する興味があり、更に知りたいと思いました。同志社高校の教師にノミネートされていましたが、教授に相談し、「あなたがコンピュータに興味があるなら、教師はいつでもなれるからメーカーに行きなさい」と、背中を押してくださいました。理系女子の少ない時、コンピュータというものを知りたいという一念でしょう。

仕事へのこだわり

ともかく目の前にある課題に誠心誠意取り組むことです。配属された日立の研究所は超エリートの集まりで、見たことのないような優れた頭脳がいっぱいでした(あほも結構いましたが)。
当時大卒の女性は東大卒でも高卒扱いであったが、彼らから見たらそんなものかもしれません。彼らの考え方などを参考にしながら毎日が勉強の日々を過ごしました。頭がこんがらがってどうしてもわからなく夜中に飛び起きることも何度かありましたが、ある時に’ふー’ と解決することがよくあり、その時の快感は忘れ難いものでした。ともかく仕事を続けること、社会との繋がりを保つことが私の信念でした。絶対に仕事を続ける!!!定年までやり遂げる、そして、子供がで来ても仕事を続ける。これが私の基本姿勢です。
又、困ったことがあれば、’叩けよ、さらば開かれん’一人で悩むのでなく、相談すればいいと思います。
気楽に、楽しくやるがよい。ABCと+アルファのOUTPUTを大切にしています。

若者へのメッセージ

仕事へのこだわりでもかきましたが、ABCとは、A:当たり前のことを B: ぼーとしないて C:ちゃんとやる、+アルファのOUTPUTとは、何か仕事をすれば必ず何かある。あそこはこうすべきだったとか、これは無駄だった、あそこはよかった、などのことです。だれでもあるはずです。
それをA4一枚のレポートにして、上司や顧客にわたします。これにより、顧客に気持ちが伝わり、提案などが採用されたら営業にもなります。続けること、人としての信頼を得ること、これが大切です。
これが ABCと、+アルファのOUTPUT です。
その後は、会社以外の人的ネットワークの形成、複眼的な見方、感性をみがくなどが大切でしょう。