Okazaki Taku

岡崎 拓

株式会社 偕拓堂アート 代表取締役 社長 https://kaitakudo.co.jp/

略歴

名古屋大学経済学部卒業後、エクステリア建材卸の企業に入社。
2年間勤務後、2002年に父親が経営する偕拓堂アートに入社。
2004年、本巣市宗慶に小売店舗「美術の森」創設。
2012年より偕拓堂アート偕拓堂アート代表取締役就任。

現在の仕事についた経緯

偕拓堂アートは父親が創業した会社ですが、次男であったため会社を継ぐつもりは無く就職をしました。
その後、父親と兄が喧嘩して兄が家を飛び出したのを機に(現在は関係修復済み)父親から会社を継ぐ気はないかとの説得を受けました。その頃、会社員としてやっていく自信が付きはじめた頃であったため、戻る気は無いと返答したところ、「自分一人が幸せで周囲の人が不幸になったとしたら、それで本当に幸せになれるのか?」という言葉を投げかけられました。
今になって振り返ると父親も必死の説得であったのだろうと理解できますが、当時は脅迫に近いこの言葉に反論が出来ず、会社を継ぐことを決意しました。

仕事へのこだわり

今から振り返ると大変恥ずかしいお話ですが、入社当時はとにかく「社長の息子だから」と思われるのが凄く嫌で、何が何でも自分自身の力で実績を作りたいという思いが強かったです。総務や経理をやった方が良いという周囲の声も聞かず営業に出て、他のどの営業よりも件数を多く回って販売実績を作ることに拘っていました。

しかし、そのような営業を続けているうちに、訪問している大半のお取引先がご高齢で跡継ぎがいないことに気付き、「このままいけば10年後には今の半分の売上になる」と周囲に伝え、自ら小売店舗を立ち上げる決意をしました。
その後、代表となるまで約10年間、小売店舗を維持していくこととそこで得た経験を製造卸にフィードバックすることを念頭に置いて活動しましたが、今から思うと空回りをしていたように感じます。

代表となって数年は赤字が続き、遂に社員をリストラしなければいけない状況まで陥ってしまいました。翌年から二度とそのようなことを繰り返さないと心に決め、社員が自ら考え行動できる組織を作るために経営計画書を作成して、会議の在り方を変え、組織の立て直しを図りました。そして自らは積極的に異業種に飛び出して新たな情報やノウハウを会社内に持ち込み、会社内にイノベーションを起こしていくことに腐心しました。

このように振り返ると、自分が自ら動いて実績を上げることに重きを置くよりも、いかに社員一人ひとりの労働生産性を高めて組織として実績を上げていくことが大切かということに気付いたことが自分自身の最大の成長だったように思えます。
今社員に伝えていることは、社員一人一人が、顧客や作り手など周囲を動かしていく起点となることが大切だということです。

若者へのメッセージ

以前我が家の家訓を作ろうと取り組んだことがあるので紹介します。

一、米粒を残さないこと、当たり前のことに感謝できる人になれ
一、氏神さま、お墓、神棚、お仏壇へのお参りは欠かすことなかれ、どこにいても自分のふるさとはそこである
一、人生一度きり、心ゆくまで楽しんで楽しませられる人になれ、学びはそのための道具となる

この3つの家訓の中で私は特に「心ゆくまで楽しんで楽しませられる人になれ」という部分を大切にしていて、まずは自分自身が楽しむこと、そしてその姿をもって周囲の人を楽しませられること、そして周囲が楽しんでいることを自分自身が楽しめる人になることを大切にしたいと思っています。
だけど、これができるようになるには膨大な学びや経験が必要であるため、若い人には大いに学んで欲しいと思います。全ての学びに無駄はなく、自分自身の武器となり大いなる未来を切り拓いていくことを忘れないで欲しいです。
また、これからの若者は幅広く世界に翔けて活躍されると思いますが、自分のふるさとを大切にすることが自分自身のアイデンティティを築き、帰れる場所を作ってくれます。そのことが自分自身の行動の力強い後押しをしてくれることを知って欲しいと思います。