大学を卒業後、単身アメリカに渡り、さまざまな経験を通して自身の今後生きていく「日本」という土俵を強く意識するようになりました。
帰国後、アメリカのスポーツ用品を取り扱う企業に縁あって入社するも、すぐに台湾駐在を命じられ、その後は部署変更に伴い、担当地域が台湾・中国からタイ・インドネシア・フィリピンになる等、いずれにせよ日本になかなか落ち着けることはありませんでした。
アジアを転々とするビジネスには非常にやりがいを感じていましたが、海外の製造工場に対して、価格を下げるために強烈なプレッシャーをかけるバイヤーの存在を目の当たりにすることもありました。できるだけ安く購入することはバイヤーの使命とは言えど、車輪の片方だけが身を削るような努力をしてしまえば長期的な品質要求には繋がらず、ともすれば工場が潰れてしまうこともあります。
横暴なバイヤーに怒りを感じると共に、価格交渉と品質管理の匙加減の妙が品質マンの手腕の見せ所だということを学びました。
諸事情から同企業を後にすると、台湾系企業の日本法人に転職し、国内サービス拠点の責任者として部門を取りまとめる実務を身に付けました。
その後、同社の経営陣から全面的なサポートを受けながら、1998年にシームレスサービス株式会社を設立したという流れです。
現在の仕事についた経緯
仕事へのこだわり
会社員時代には「片側からの話で判断することの危険性」や「表面的な優しさは弱さであり、本当の優しさは時に厳しいこと」を学びました。
従業員に関しては、夢の実現に向かう同志だと捉えています。
また、家族よりも長い時間を共に過ごす存在だからこそ、しっかりと義を通し、会社と共に1人1人が成長できる道を模索しなければならないと考えています。
したがって、弊社では週に1度の社内研修を行い、私自身が作成した資料を用いてスタッフの能力向上に努めています。
今後の目標
日本における「モノづくり」や「修理サービス」といった業種は、かつてと比べれば随分少なくなってしまったように思えますが、今後も失われることはないと私は思います。
ただし、大量生産・大量消費・大量廃棄というサイクルが、少量生産・長期活用・少量廃棄へと変わっていくことは間違いありません。
日本へ参入する海外製造工場は、自社のサービスを構築する費用を掛けず、当社のようなサードパーティーを活用することが既に主流となっています。
ここにはつまり、弊社のような組織が製造工場と国内輸入者をシームレスに繋ぐことで、海外製品の「安かろう悪かろう」のイメージを払拭できるというメリットがあります。
今後ともよりよい製品開発のために、日本の市場ニーズを製造工場側に伝えていくのはもちろん、工場の立場をしっかりと理解した上で、オーバースペックになるようであれば、現地の言葉で話し合える場を設けるなど工場側の保護にも努めて参ります。
ひいては、製造工場・販売会社・消費者の三者が揃って満足できるよう、当社はアフターサービスと開発支援の面で正義を貫いていきます。