Sanpei Shin

三瓶 晋

株式会社ViV 代表取締役 https://www.vivinc.jp/

略歴

千葉県にて出生。小中とセントラルスイミングクラブに競泳選手として所属。ジュニアオリンピックカップに数度出場。高校から兄の影響でラグビーを始める。教員を志し、日本で唯一の国立系体育大学である鹿屋体育大学教育学部に進学し卒業。大学時代は全国地区対抗ラグビーフットボール大会に出場。高校大学と主将を務める。教育実習にて現場の実態に辟易し、教員の夢を捨てる。新卒で某教育系通信会社大手に入社するも、環境に馴染めず半年で辞意。転職活動に苦しみながら運命的な出会いをし、不動産業界に転職。トップセールスや最年少管理職などのレコードを作りながら10年ほど勤めたのち、2022年1月に独立する。現在は自身の故郷でもある千葉県を中心として一都三県の区分マンション買取再販事業に取り組んでいる。

現在の仕事についた経緯

新卒で入った教育系通信会社を半年で辞めているので転職活動は苦労しました。当時は震災の余波があり就職氷河期とも言われていました。転職支援のコンサル会社からも最低1年は勤めたほうが良いと諌められたくらいです(笑)。
ただ当時は環境を変えたかったので、周りの言葉には耳を傾けず、見切り発射で退職願いを出しました。1ヶ月前に出したのですが、なんだかんだ粘られて辞めるまでに3ヶ月かかりましたね。今考えるとその間に転職先が見つかったので良かったです。即退職になってたら路頭に迷ってたでしょう。

本題ですが、私は不動産業界には全くと言って良いほど興味はありませんでした。前述の通り転職活動は絶賛苦戦中で全て書類落ち。面接にすら辿り着かない日々でした。そんな時、とあるコンサル会社の担当からDMが届き、実際に会ってみると「とても良い会社がある」と1社のみを激しく勧められました。その会社とは、勧めてきた当人がつい先日まで勤めていた会社だったのです。
いま考えても怪しさ満点で「自分がこの前辞めた会社をなんでそんなにキラキラした目で勧めてくるのだろう」と思ったのを覚えています。ただその熱意に負けて応募してみることになったのですが、面接での代表の人柄に魅了され、入社を決めたことが不動産業界との出会いです。

仕事へのこだわり

会社に居続けて出世を目指すにせよ、転職してキャリアアップを目指すにせよ、独立や起業をするにせよ、ビジネスパーソン同士のルールやマナーは絶対におさえておかなければならないと思っています。それは言わばパスポートみたいなもので、身に付けていればビジネスの世界を通じて、いつ・どこで・どんな生き方でも選べます。逆に身に付けていなければどこへも行けません。

私が思うビジネスのルールやマナーは「当たり前のことを当たり前にやる」です。ただこの「当たり前」がなかなか難しく、また当たり前の基準も人によってさまざまです。要は自分自身がどれほどのレベルのビジネスパーソンを目指すかによっても当たり前の基準は変わります。
私の場合は社内で実績を残していて尊敬できる先輩や上司から当たり前の基準を学ぶようにしました。それが私の正解を見つける上で一番の近道だと思ったからです。そしてその当たり前ができるようになったのなら、また新しい当たり前を尊敬する人から盗み学ぶ。その繰り返しです。そうしているうちに自然と視座があがり、実績が積み上がっていきます。

ビジネスの世界に飛び込むのはワンピースの世界に飛び込むようなものです。大海原にはクレイジーな人もいれば物凄くエキサイティングなこともあります。そして幾通りも生き方があります。なので遠い沖を見つめて帆を進めるのではなく、近くの目標物を捉えて力強くオールを漕ぐようにしています。

若者へのメッセージ

私の経歴は見て分かる通り全く華々しくありません。どちらかというと落ちこぼれの学生時代でしたし、社会人になってから何度も挫折を繰り返しています。それでもいま起業という道を選択し、夢に向かって邁進しています。

七転八起という言葉にある通り、何度失敗を繰り返してもまた立ち上がれば良いのです。失敗をするということは挑戦している証であり、挑戦する人間にしか真の成功はありませんから。
その最たる例が、アメリカの元大統領エイブラハム・リンカーンです。彼の挫折の人生については割愛しますが、諦めなかったからこそ大統領にまで上り詰めたのです。気になる人は彼の伝記を読んでみてください。

ソーシャルメディアの普及によって簡単に情報は手に入ります。ただ実体験を伴わない情報には火力が足らず、自分を礎から支える力にはなり得ません。
是非とも失敗を恐れず、挑戦を繰り返し、傷付きながらも立ち上がってください。私も皆さんに負けじと挑戦し続けます。