Takahashi Kazuyoshi

高橋一芳

株式会社ヒカリ 会長 https://hikari-scissors.com/

略歴

中央理容専門学校卒業後、理容室にて5年間修行。その後、自宅で父親の仕事を手伝う。ヒカリ刃物研究所に勤務し、新会社を設立。HIKARI PRODUCTS JAPAN販売会社社長に就任、製造部門の製品開発により数々の特許を取得。
板橋モノづくり大賞受賞、東京都商工会議所主催の勇気ある経営受賞。現在は株式会社ヒカリの会長を務める。

現在の仕事についた経緯

父親が理容室を経営し、新潟県のコンテストにて数回優勝していました。私自身、代々続く理容業の4代目として育ったため、家業を継ぐために修行を終了し、実家に帰りました。しかし帰ってみると、父のサロンはなく一人でハサミの研究をしていたのです。その父の姿を見て、1年間だけ手伝うことを決意しました。
実際にやってみるとその研究はとても面白く、当初の1年の予定が2年になり、そのまま父が立ち上げたヒカリ刃物研究所に勤務しました。というのも、当時のハサミは切るのに力が必要で、腱鞘炎になってしまう理容師の方が多かったのです。ありとあらゆるハサミを徹底的に研究し、素材から刃の鍛え方、全体の形状まで、あらゆる要素を朝から晩まで分析しました。
当時は誰もハサミについて研究していなかったため、そこで開発された唯一無二の技術により最高の商品が生まれました。誕生したニーズに合ったハサミはたちまち売れ始め、販売会社を設立し販売店との販売契約書を交わしました。
日本国内を制覇すると更に海外にも販路を広げ、今もアジア、アメリカ、オーストリア、ユーロ圏にまで販路を広げているところです。

仕事へのこだわり

こだわりはもともと何もありませんでした。研究開発をしていくと、今までの常識が間違いだと分かり、その後、職人の技術は役に立たないことが分かりました。
どのようにしてハサミを作るのか先代と話し合い、作り方を独自に開発していきました。我々が目指す商品は誰もが喜んで使っていただけるハサミにしなければ目的を達成できないと考え、そのための技術開発を数年間行い、技術が確立されたのです。
父も私も元が理容師ですから、試作品ができると自分たちの髪で試すのですが、驚くほどキレがいいのです。本当に自信がある技術、商品ができました。自分たちが使ってこれだけ満足するのだから、間違いなく支持されるだろう、と確信した瞬間でした。
そこから初めてモノづくりへのこだわりが芽生え、自分自身に「手を抜くな」と常に格闘した日々でした。その情熱のあまり社員の指導にも厳しく、毎日怒鳴っていましたが、ある時その指導方法は間違っていると気付きました。その後の指導は怒らなくなり、そのせいか覚えが早くなったのを覚えています。そして、怒ったりけんかしたりせずに褒めながら指導し、笑って仕事をしていると、そこから何かが生まれるのだと信じています。
当時、理容師のハサミの相場は1丁1500円で、当時の給料1ヶ月分くらいでした。そんな時代に8000円で販売したのにもかかわらず、売れたのです。まったく宣伝しないまま、口コミで広がっていきました。商品の検査ではこのハサミが喜ばれ使ってもらえるか、一丁一丁、丁寧に確認しながら社員一同心を込めて世に送り出しています。
「技術者は素直な心がなければよい技術者にはなれない」ということは常に社員に伝えていますね。

若者へのメッセージ

目標のない人生はつまらない、ということを伝えたいです。私も行き当たりばったりなところはありましたが、ある日ノートにびっしり書き留めました。「自分は何がしたいのか、何が欲しいのか、何になりたいのか。」小さなことから大きなことまでなんでもいいのです。いつまでに、と期限を決めて逆算することが大切です。達成出来たらチェックして消していくと、自然と逆算する癖がつき、達成することができます。目標を立ててなりたい自分を想像して頑張ってください!