Wada Naoto

和田直人

株式会社アンカーマン 代表取締役 https://anchorman-inc.tokyo/

略歴

早稲田大学教育学部理学部卒業。
新卒で野村證券株式会社に入社、熱血営業マンとして働くも、大志を抱き、脱サラして酒造業に特化したコンサルティング会社株式会社アンカーマンを創業、代表取締役に就任、現在に至る。150社以上の蔵元の補助金サポートや「すごい会議」認定コーチとして経営支援サポートに従事。
2022年7月、著書『受身型の社員たちが老舗蔵元のV字回復を見事にやり抜いた~全員で目標を達成するチームのつくり方~』を発刊中。

現在の仕事についた経緯

有名大学を卒業、大手証券会社に就職と挫折のない人生を歩んできて、サラリーマン時代もそれなりに有意義に過ごしてきました。「将来は社長になる!」との意気込みで働いてきたものの、2年もすると「定年まで自分は組織の歯車として働くのか?このままでいいのか?俺!」「いいや、このままじゃダメだ!もっとワクワクすることがしたい!大好きな日本酒でビジネスがしたい!」と思い始めた2014年春。
当時はアベノミクスで景気が一気に回復の兆しを見せていた頃で「これはチャンスだ!時代も俺の後押しをしている!」と勢いで脱サラして、起業家の道へ。
具体的なアイディアや仲間もなく、「やる気」ひとつで株式会社アンカーマンを起ち上げ、現在に至ります。

仕事へのこだわり

証券会社のサラリーマン時代は、「とにかくアクティブに動き回ること」「相手のニーズにすぐに応えること」を意識していました。1日に途方もない数の営業電話をかけて、電話の向こうの営業先の社長とアポが取れようものなら、数分後にビルを飛び出してタクシーに飛び乗り、会いに行くという熱血ぶり。
また、「自分の興味あることを仕事にしたい」という想いも強かったです。学生時代に虜になった日本酒。日本酒愛が高じて、どうせ起業するなら「大好きな日本酒に関連したビジネスをやりたい」という想いだけで大手企業を脱サラしてしまうほどです。
それなりに順風満帆の人生で、大した挫折も味わったことがなかったのに、起業してから数年は挫折の連続。
「経営者として成功して、日経新聞に載ります!」と啖呵をきって大手証券会社を退職したものの、はじめに手がけた日本酒輸出事業は大失敗。
酒蔵ツーリズムでなんとか収益化はしたものの、ビジネスと言うにはおこがましいレベルでした。そのとき、偶然、ある蔵元さんの補助金申請のお手伝いしたことがきっかけで自身のその後のビジネスの根幹となる考え方に気づきました。
「蔵元さんの縁の下の力持ちになりたい!」「間接的においしいお酒造りに携わり、日本酒業界全体の成長の一翼を担いたい!」という日本酒コンサルタントとしての考え方。切り口はある種なんでもよい!「補助金サポート」「すごい会議の導入による経営支援サービス」「リブランディング」アンカーマンの得意としている、これまで150社以上の蔵元にサポートして結果を出してきた実績と信用。
これらを軸として、蔵元さんはじめアンカーマンが携わった蔵元メンバーの喜ぶ顔が見たい!そんな想いで日々仕事をしています…それが私の仕事へのこだわりです。

若者へのメッセージ

若者よ!挑戦することを畏れるなかれ。
私は、周到なビジネスモデルも緻密なプランもなく、半ば勢いだけで起業したと言っても過言ではありません。それでも、日本酒愛は誰にも負けない自信がありました。自分はやれるという想いがあったのです。
「好きなことを仕事にするなんて、やめたほうがいいよ」と数多くの人に言われてきました。
当然、細かな挫折もある。数えきれない失敗もある。
でも、「失敗=ナイスチャレンジ」だ!
挑戦を止めなければ、諦めなければ、決して向かう道が途絶えることはないでしょう。

多くの先人達が言います。
「ビジネスの真の失敗は、挑戦しないことだ」と。
私もそう思います。
なぜなら、挑戦しなければ何も生まれないから。
その一歩を踏み出さなければ、何もはじまらないから。
今、つくづく思います。
あのとき、起業しなかったら、酒蔵さんで働く人たちの感謝の笑顔に出会えただろうか。
もちろん、起業がすべてではありません。
サラリーマンや自分の置かれた場所でさまざまな形で「挑戦」はできます。
しかし、向かう道を見つけて歩み出すこと、歩みを止めないこと、どんな形でもいい、格好悪くてもいい、誰から何を言われてもいい、自分が信じた道を歩き続けること、それこそが真の「挑戦」だと思います。
少しだけ社会人の先輩として、若者に言葉を伝えるなら、「挑戦」とはいつでもはじめられるということです。自分が確かに少しずつでも歩み続けている…この自覚こそが自分の生きる支えになると信じています。